【越谷】ウォーキング・ランニングスポット

2023/03/23 18:44

 

こんにちは!

流カイロプラクティック院のブログをお読み頂き、誠にありがとうございます。

 

日頃、クライアントさんと話していると、「ウォーキングやジョギングを始めたい」と思っていても、目的もなく歩いたり走ったりすることが苦痛な人も少なくないようです。

 

私は趣味のウォーキングやジョギングがてら、越谷市内の水路や川、歴史スポットを回っているので、ウォーキングやジョギングの目的地オススメすることで、歩いたり走ったりするきっかけにして頂いています。

 

折しも新型コロナウイルスの影響で、健康のためにウォーキングやジョギングを始める方が多い時勢となりました。

 

こちらの記事では、越谷のウォーキング・ジョギングが楽しくなるような事物のご紹介をしていこうと思います。

 

※独学での調べなので、由来などに誤りがある可能性があります。ご了承下さい。

 

 

【越谷駅東口】

栃木銀行越谷支店の駐車場はお寺の跡地?

クライアント様のお話では、栃木銀行越谷支店さんの駐車場には神社があったとか。

旧日光街道沿いのハスミ歯科クリニックさんからの細い道は、当時の参道跡だそうです。

耳の病気にご利益のある神様が祀られていたそうです。

 

後日、「医王山 東正院」の薬師堂があったとのお話をお聞きしました。

史料によっては「稲荷社」の記載があったりなかったりみたいです。

 

この話をしてくれたクライアント様の話では、「開発で神社は引っ越した」と仰っていたのですが、ここから「ハマザキ電化センター」さん方面に歩いていくとある小さい社が名前を書いてないけど、中をのぞくとお稲荷さんが祭られているんであそこも「稲荷社」だと思うのですが、どうなんでしょうね?

 

ちなみにその社を東側に曲がると旧日光街道沿いにある「珈琲処 晴れ晴れ」さんは院長のイキツケのお店です。オススメです!

 

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栃木銀行越谷支店さんの駐車場脇に佇んでいます。

お寺跡の痕跡かな?

 

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感謝するだけで幸福度が25%アップします
感謝する人は9.4年長生きします
感謝するだけで痛みが軽減します

『アウトプット大全』より

 

という言葉を思い出しました。

 

痛いとついついネガティブになりますが、前向きに切り替えていきましょう!

動き出すと意外と忘れてしまう痛みもあるものです。

 

身体の声を聴いて動いていい痛みか悪い痛みかを判断できるようになることも大切です。

 

身体が「OK}と言っていたら、腰痛でも膝痛でも無理をしない程度にちょっと歩いてみましょう!

 

 越ヶ谷宿

市神社

ウォーキング で前から気になっていた旧日光街道 沿いの小さな鳥居まで行ってお参りしました。市神社 というらしい。珍しい名前!?

いつもは車であっという間に通り過ぎてしまいますが、歩きだと色んな事物が目に入り、色んなことを考えられます。

 

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【元荒川桜堤(北越谷)】

2023年3月22日(水)、今回はランニングで行ってきました。

 

北越谷桜堤は八分といったところでしょうか。露店が出ていないし、今年もお祭りはやらないのかな?

明日は天気が悪くなるみたいだけど、耐えてくれて土日に満開が見られるといいですね!

 

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 【綾瀬川】

藤助河岸(とうすけがし)

越谷市の西から南にかけて川口市や草加市の市境を綾瀬川が流れています。藤助河岸は、県道49号線(旧4号・足立越谷線)を南下して綾瀬川を渡る辺りにあります。

 

ここは江戸時代中期から昭和初期まで使われいた川港が復元されています。

 

創立当時の綾瀬川は越谷近辺の年貢米をはじめ、さまざまな商品を江戸へ運ぶに大きな役割を果たしていました。


なぜなら、延宝8年(1680年)に江戸幕府が、綾瀬川で生活や農業用に水を引くために堰(せき)を作ることを禁止したので、堰ごとに荷の積み替えをせず江戸へ直送できたからです。

 

そのため、綾瀬川には他にも多くの河岸場(川港)が設けられました。藤助河岸もその一つで、創設は高橋藤助によるものです。

 

明治に入ると、政府が河川や水路の土木工事への国費支給を打ち切ったので、中川は土砂が堆積して大型船の運行ができなくなってしまい、中川に流れ込む古利根川や元荒川の舟運は衰え、一段と綾瀬川に運送の需要が集中するようになります。

 

その中でも藤助河岸は、旧日光街道(陸羽道中)に面していて、陸路との交差点という地の利を活かして特に繁盛し、大正2年(1913年)には資本金5万円の武陽水陸運輸株式会社を創設します。

 

これにより荷車を使って、越谷・春日部・岩槻などの特産品が藤助河岸に運ばれ、船に積み替えられて東京へ出荷する広範囲の効率輸送が可能になり、道路網や交通の発達により、他の河岸が衰退をする中でも藤助河岸は栄えました。

 

しかし、大正9年(1920年)に東武鉄道が開通して舟運の需要が次第に減っていき、更には大正12年(1923年)の関東大震災で船の大半を失ってしまい、徐々にかつての活気は失われていきますが、昭和初期まで藤助河岸は利用されました。


復元された藤助河岸は、藤助18代当主高橋俊男氏から寄贈されたものです。

 

この辺りの旧日光街道沿いには清蔵院などの名勝が残っていたり、蒲生の一里塚もすぐ近くなので、ジョギングやウォーキングで合わせて巡るコースはオススメですよ。